衆院選挙が終わり、安倍一強に落ち着いた。
一番危惧していた結果になったが、安倍さんの絶妙のタイミングで衆院解散を行い、野党の足元をすくった感じである。
一強になったことで、思うように政治を動かせる環境が整った。
これからは何が起ころうと国民は文句は言えなくなることを覚悟しなくてはならない。
今回のTaoChatは、季節柄の話題に終始した。
ハロウィンといえば、仮装行列と思っている人も大いに違いない。
ハロウィンを知ったのは、今から30年ほど前、アメリカ西海岸に駐在していたときである。道路わきにでかいカボチャが転がっていて、それを使ってジャック・オー・ランタンを作って飾る習慣を知ったときである。子供は袋をもって玄関先でTrick or Treatをさけび、お菓子を家人からもらう。
そんな風習がいつから日本に入ったのか定かではない。
お祭り好きの日本人だから、きつかけがあれば、仮装行列は大歓迎なのだろう。
日本のハロウィン光景は確か蕪村にもあったはずと思い、「蕪村句集」で狐火を検索した。ヒットしたのがこの句。
かぼちゃの灯篭よりもっと迫力のある髑髏の灯篭である。
それも玄関に飾るのではなく、野原におぼろげに光る灯篭である。
かぼちゃに比べれば、怖さ100倍である。
西欧では、ひとは死ぬと悪霊に変わると思われており、毛嫌いされる。
マイケルジャクソンの「スリラー」はゾンビ化した悪霊が追いかけてくる。
しかし、蕪村の髑髏は道しるべとなって、死人の霊は、旅人の旅を助けてくれる。
死人の霊は、我々生きている人間を見守ってくれる。
ハロウィンは、日本で言えば、夏のお盆である。
お盆のときに玄関に飾る精霊馬は、先祖の霊が乗る馬である。
死人の霊は、やさしい霊である。
霊と語り合えるひと時を日本人は大事にする。
蕪村の髑髏は、旅の途中で亡くなった人の霊を象徴する。
霊の存在を遠くから感知するために、狐火が必要になる。
狐火は鬼火ともいう。
鬼火は、死人の魂が燃えて空中を漂う火の玉である。
鬼火によって、遠くから道しるべの存在を知る事ができる。
単なる頭蓋骨では、見失うおそれがある。
蕪村の句はうまく情景を作っている。
鬼火に誘われた旅人が、髑髏を発見して、死者の霊の助けに感謝する。
風雨に吹き曝されても、毎晩灯台のように、道しるべのともし火を放ち続ける。
人は死んでもひとの役にたち続ける。
蕪村の句は、日本版ハロウィンの真髄を語っているように思う。