本屋の大切さ

本の読者が減っているとは言え、本を読みたくなる。

カズオ・イシグロ氏も、NHK文学白熱教室の中で言っていたが、小説を読むことで、フィクションの世界で真実を知る事ができる。真実とは何か? それはストーリーの中で登場人物がどう感じたか、追体験でき、それと自分の置かれた立場を振り返る機会を与えるのが小説の世界である。

そういう本にめぐり合えるのが、本屋である。

本屋はリアル本屋(店舗のある本屋)でもネット本屋でもいいが。

リアル本屋のほうが、コンテンツだけでなく本自体の装丁だったり、古い本なのか新しい本なのか、じかに知る事ができる。

悲しいかな、最近の本屋は、しばらく売れないと返品して、次回行くときに見当たらない場合が多い。コンビニの展示と同じになっている。

リアルな本屋がなくなり、アマゾンのようなネット本屋だけになったら、きっとさみしくなる。 リアルな本屋は、売れ筋本だったり、最新刊だったり、いろんなジャンルの本にめぐり合える機会が多い。

ネットだとまずお奨め本の検索から始まり、安値の店を探すことになる。

リアルな本屋の場合、即断即決となり、買ったら即読むことになる。

次に行った時、返品されている可能性が高いからである。

電車にのって通勤しているが、本を読んでいる人は非常に少ない。

スマホで漫画を見ている人は結構いる。ゲームには及ばないが。

本を読む習慣は子供の頃に身につく。

わたしも子供の頃、本を読んでもらい、小学校のときは漫画三昧、中学後半の恋愛期に入って、「友情」や「風立ちぬ」や芥川龍之介を読み始め、高校で、耽美派を読んだ。生まれが東京下町だったので、谷崎や荷風の作品、「濹東綺譚」「つゆのあとさき」「かめ笹」「地獄の花」など、下町が舞台のものを読んだ、ませた高校生だった。

当時世田谷から高田馬場まで通学していたので、本を読む時間に恵まれていた。

大学に入ると生協の書籍部で本を漁っていた。新宿の紀伊国屋三省堂にもお世話になった。どんな本を読んでいたか手元に残している本を見ると、思想書や哲学書が多く、小説は殆ど読んでいない。諸子百家の本や福永さんや貝塚さんの道家儒家の本が手元に残り、今書いているメルマガの原稿のねた本にしている。

会社に入ると、鵠沼海岸に住んでいたので、藤沢の有隣堂や西武のリブロまで自転車で通っていた。 本屋は、自分の社会の出来事との接点のようなものだった。ケイタイもネットもなく、本が知識の宝庫だった。

海が近かったので、潮風に吹かれ寝転んで本を読むのが楽しみだった。

その後、住居が湘南ライフタウンに変わると、本屋との接点がなくなった。

近くに本屋はなく、車通勤していたので、本を買う機会がなかった。

思い出すと、出張や飲み会の合間に、本屋にぶらっと入って新刊本をたまに買う程度だった。読書の機会が増えたのは、子供が大学に入り家を離れたころからのように思う。

茅ケ崎に移ってから、本屋が近所に2件、駅前に3件あるので、行く場所に困らない。

店舗が狭いので、ない本は横浜に買いにいったこともある。

ネット書店も勢いを増し、ネットで購入することもあった。

当時は、どの書店のどこにどういうジャンルの本が並んでいるか把握していた。

従って、本棚に新たに並ぶ本に出会うのが楽しみだった。

東京の丸善八重洲ブックセンタに行くと、本の数が多すぎて、逆に迷って何も買わずに帰ることもあった。ネット書店の素晴らしさは、ピンポイントで買えることができ、古書も買える点にある。買う本が決まっていれば、一番安く買える。

リアル書店は、何を買うかは、その場で決めるという楽しみがある。

本屋に期待したいのは、売れない本もすぐに返品せずに、しばらく置いて欲しいことである。立ち読みして買う場合、次にいくともうないのでは困る。

棚の入れ替えを頻繁にやると、記憶をたどって本にたどりつくことさえできない。

店の経営も大変でしょうが、返品予定の本に返品日を掲示してもらうと、その場で買う場合もあるので、ぜひお願いします。

しかし、返品予定の本が、ノーベル賞受賞とともに売れ出すケースもあるので難しいかも。