昨夜は職場の飲み会の幹事をやり、深夜遅くの帰宅で風呂も入らず寝てしまった。
今朝は二日酔いで、メルマガの執筆もままならず、お昼近くの発行となった。
それにまぐまぐの方の号数を間違える始末。
論語の言葉を拾った。
ぜいたくと倹約の話から、借金の話になり、消費減税の話で終わった。
ぜいたくは尊大で、倹約は頑固。
尊大になるくらいなら、まだ倹約のほうが救われる。
倹約が目的化するとけちで頑固になるが、倹約の目的が将来の投資の資金作りなら話は健全になる。高齢者の倹約は、そもそも支給される年金の範囲内でやりくりしなけりゃならない事情からくる。消費税の増税は、高齢者の家計にもインパクトがあるが、その金を年金や医療費から生じた国の借金の返済にあてるなら仕方ないかと思えてくる。
それを子供支援に使うとなると、話は変わる。いままでの借金をそのままにして、子供支援に使うと、子供に結局将来の借金を背負わせることになる。
借金をするというのは、ぜいたくの一種と考える。
今、金がないなら我慢するだけのことである。
アメリカの奨学金問題は、そもそも行けなかった大学に借金をして大学に行くことから生じている。リーマンが破産したサブプライム問題も、貧乏人に無審査でどんどん借金させて、住宅バブルを起こし、返済不能になった高額の担保物件を転売して金を生む仕掛けを狙ったもの。
貧乏人にぜいたくさせて、どん底に落とす結果になった。
国のレベルで借金をすることは、責任者なき借金でいきつくとこまで行く。
それをとめるのは、国民なのである。