車社会の行く末その2

免許をとったのは、就職後辻堂の北に位置する湘南ライフタウンに住まいをもってからである。会社まで車だと15分でいけるが、バスと電車とバスで1時間半はかかってしまう。そんな陸の孤島では自動車が必要になる。当時はマニュアル車で教習を受け、仮免に1回落ちて、数十万かけて免許をもらった。入社後8年目くらいに米国西海岸に駐在となり、州の免許をとったが、そちらは15ドルで免許がとれた。この違いは何なんだと当時も今もおったまげている。

車は、家内の実家からマツダの中古ファミリアをもらった。こちらも団地横の路駐である。こちらは、クーラーもラジオもついており、快適な通勤生活を送った。運転に慣れた頃、日産サニーのマニュアル新車を買った。当時は大衆車が技術的にも一番成熟していて安全だという認識があった。それに価格も当時の収入に見合っていた。学生結婚で入社したので、家族もちの車は、セダンで5人乗り大衆車に決まった。

米国西海岸の駐在時に乗った車は、会社から支給されたGM celebrity 1985モデルの新車だった。こちらはボディの鋼板が厚く、サニーに乗っていたドライバーからすると戦車のようで、ぶつけられても相手の車がへこむ感じがした。車内も広く、大人6人は乗れた。燃費が悪くてもガソリンがガロン(4L)で1ドル40セントくらいで気にせず遠距離ドライブができた。最長で、Calfornia からTexasまでドライブしたこともある。とにかく、ハイウェイは無料で、ハイウェイ近くにモーテルが必ずあるので、お金と時間と体力さえあればどこにでもいけた。アメリカで一番売れるのがジープやピックアップトラックSUVであることがよくわかる。頑丈でどんな道でも心配なく運転できることがベースにある。燃費とか小型とかいうのは、都会の話になる。ハイブリッドがもてはやされるのは、環境に配慮する西海岸やニューヨークのマンハッタンのTAXIになる。

逆にアメ車が日本で売れないのは、ガソリンが高く道が狭く、高速料金も高い国だからである。トランプ大統領がどんなに頑張ってみても、たとえアメ車の関税がゼロになっても売れないのは予想がつく。

アメリカは真の車社会で、運転が楽しくなる社会である。シェールオイルでガソリンがなくならない限り、EVには移行しない。TESLAが見ているのは中国である。人民が皆ガソリン車を持ち始めると、中国の都会は公害都市になるからである。今でもそうだが。

日本では車は費用がかかりすぎる。ガソリンが高く道が狭く、高速料金も高い日本は、ドライバーにとってストレスが多すぎる。高齢者の事故が多いので、高齢者社会には、車は自分で運転するのではなく、コンピュータが運転する車に乗るようになる。

帰国後、家の駐車場で、ルーフが真っ白に変色したサニーを見て驚いた。シートをかけずに放置したためか、1年半の間に塗装が劣化した。それに冷却水のタンクの水漏れもあり、トヨタカローラの新車を買うことにした。大衆車の選択は同じで、色も白を選んだ。米国でオートクラッチ車に慣れていたので、カローラもそれにした。車は使わないだけで痛むことを教えられた。

カローラは乗った車の中で故障が全くなく、一番安定した車だという印象を持った。今ではあまり見かけないが、当時は駐車場で自分の車がわからないほど、よく見かける車だった。その数年後、VWの車に乗り換え今に至るが、VWの故障の多さはトヨタ車の足元に及ばない。それなのに、何故VWの車に乗り続けるのか? デザインがシンプルで運転する楽しみがあるからだと思う。こちらの話は次回に回そうと思う。(その2終わり)