TaoChat@875編集後記

先週は荘子だったので、今週は外国物にした。

ニーチェの「人間的な、あまりに人間的な」は、大学時代に買ったことが大学生協のブックカバーでわかる。芥川龍之介が、「文学的な、あまりに文学的な」を書いたのは、ニーチェのこの本を読んだためとなんとなくわかる。本が売れない時代だが、哲学者の言葉を記した本はよく読まれるので、この本が再版されないのは不思議な気がする。

「目標と道」と題されたこの言葉、自分の道と照らし合わせても、しっくりする。それが選んだ理由でしょうか。道を歩き続ける人は多くても、目標を持ち続ける難しさを教えてくれる。結局、自分に合った目標が結果的にもち続けられた理由になる。

自分に合った目標を見つけるのは難しいが、これは第一印象で決めるしかない。まるで、恋人を選ぶのとまったく同様に。理由はあとから付いて来る。

メルマガを17年間続けたと書いたが、そのきっかけは、ネットで老子同好会に加わり、老子についていろいろ語り合ううちに、もう少し幅広く語ってみたいと思ったことと、こんな素敵な思想をほかの人にも伝えたいと思ったからである。そのときのハンドルネームが、「有無相生」だった。同好会の主催者であった丸山先生(丸山瑛示さん)の当時のWEBサイトに老子の10の教えがあり、その一つが「有無相生」であり、それをいただいた。丸山先生は、その後、「いのちの道」(サンマーク出版)を出され、老子の啓蒙を続けられている。

目標は、あまり狭く設定すると活動の範囲が狭まる。広く設定して、多少の道のぶれを吸収できるとありがたい。私のメルマガは、とにかく趣味として長く続けられる目標としてありがたかった。始めた頃はメルマガの走り出しで、ネットさえつながればどこでも発行できた。当時は家ではネットがなかったので、会社のPCから発行していた。(今では、セキュリティがそれを許さないが)その後家では、ダイアルアップからADSL,そして光ファイバー、HOME WiFiとネット環境が進化している。でも、メルマガは毎週土曜に自宅デスクトップPCの前に座り込んで、原稿書きから始める。

メルマガねたは、世情についての思いや、自分の経験にもとづく人生観などを載せている。これも自分に無理がなく、文章が書ける内容を超えない。

長く続けるのにも工夫が要るわけである。ダイエットや趣味も自分ひとりでやるより、誰かと関わりあいながら続けると意外に長く続けられる。私の場合、誰かは顔の見えない誰かではあるが。

読書もメルマガねたを与えてくれる。小説には、登場人物の口を借りて、作者が語る言葉がある。面白い言葉は付箋をはる。時々俳句を載せるが、蕪村の面白さを教えてくれたのは、森本哲郎さんである。氏の「月は東に―蕪村の夢 漱石の幻 (新潮文庫) 」と
「詩人 与謝蕪村の世界 (講談社学術文庫)」は私の宝物で、蕪村の俳句と画のユーモアを味わえる本である。老子荘子芭蕉にその思想は現れるが、自然に育まれながら生きる人間へのユーモアは蕪村の句や画に見ることができる。

ということで、メルマガを書くことで普段気がつかない世界を見たいという好奇心が生まれるので、大自然の中で踏み込んで、生命の営みを感じたいと思うようになる。

ある目標をきっかけに自分の行動が広がることにもなる。生きる時間は限れられるが、生きているうちにできる行動は目標しだいでどんどん広かって行く。これがメルマガで伝えたかったことである。