TaoChat@874編集後記

昨日は、孫のバレー発表会で東京まで行きました。帰ったのは夜10時になり、寝坊したため、発行が遅れました。

孫はまだ4歳で、演技はあまり期待していなかったのですが、なかなか堂々と落ち着いて踊っていたのに驚き、つい手を振っていました。技を磨くのも大事ですが、皆とチームプレイする楽しさを体験するのはもっと大切だと感じました。

メルマガの原稿は当日の朝に書くので、何を今日の言葉にするかを決めることから始めます。最近荘子の言葉が出ていないと思ったので、福永氏の「荘子」と世界の名著「老子荘子」をぱらぱらめくって本日の言葉を選びました。

ストーリーは、本日の言葉と結びつく最近のできごとを思い浮かべながら書きはじめました。北朝鮮がグアムにミサイルを撃ち込むというニュースと広島・長崎の原爆式典で安倍首相が、核兵器禁止条約に対するコメントを述べず、行っている事が行動に結びつかないこと、核の傘に縛られた国の対応など、が最近の情勢です。

荘子の言葉は、世人が逆旅(宿屋)で、世の中の事象が流れとして、個人の中を通過するというモデルを語ります。個人の中を情報として通過するものより、実体験として通過する事象の方が、知恵としてその後の個人の人生に大きく影響する事実を明らかにします。実体験から出た言葉は、評論家の言葉より説得力があります。

政府が依然として原発依存姿勢なのは、自分の実体験として放射能の恐さを知らないせいだと思います。

広島長崎の被爆体験は、データとしては米軍が被爆状況調査と被爆者の発症状況の観察と調査を行い、その恐ろしさを把握しています。

核兵器開発する国は、核兵器の恐さをデータして把握しても、実体験で把握していません。自国民が核の熱で蒸発する様を体験していません。アウシュビッツの毒ガスで殺して、死体を焼却する域を超えています。核兵器を導いたアインシュタインでさえ、人類最大の過ちと認めています。核汚染は地球規模で広がり、一国だけが生き残る可能性はありません。

とすると、人類最大の遺産は、核爆弾を2回被爆した日本の被爆体験ということになります。高齢化が進み、被爆者が消滅するのも時間の問題です。そうしたとき、国が非核3原則を掲げながら、核兵器禁止条約に反対するという、言っていることと行っていることが矛盾する状況になっています。核の傘は、非核3原則の「持ち込ませず」を疑わせます。国内の基地に核兵器がないという保証はありません。ICBM基地がないというだけで、艦船から発射できる核や、戦闘機に積み込める空爆用核は、通常兵器とともに配備されていると考えられます。ただ、戦略上日本に核が配備されいる事が公になると、北朝鮮はそこを核攻撃するので、秘密裡にしておくだけです。

こんな状況を踏まえて、荘子の言葉のもつ意味をメルマガで考えてみました。

核兵器を使うことは、被爆体験を地球上の他の地域に拡大させることです。同じ体験を繰り返さないように、日本政府は被爆体験を語る映画を作製し、世界中で上映し、核の恐ろしさを伝えたり、被爆体験の伝承にもっと労力を注ぐべきだといえます。

安倍新内閣の目標が、依然として経済優先であるのは、ちょっと情けないと思います。

経済が発展する土台は世界平和であることを考えると、核の恐さを実体験として世界に伝え、核廃絶運動の先頭に立つ気構えが欲しいところです。人類最大の遺産を無駄にして欲しくないというのが、今回のメルマガの主旨でした。