糖質ダイエット

ご飯好き、麺類好き、ピザ好き、お好み焼き好き、おやき好き、パン好きな自分はとても糖質ダイエットはできない。

昼食で使う食堂で、どんぶり飯を出すので、ご飯食べすぎとなり、この一年で3,4キロばかり太り、先月の人間ドックでメタボ認定を受けた。というか、ここ10年はメタボ認定続きである。

歳をとると、採ったエネルギーはよく身につくようだ。

エネルギーを消費するのは、毎日の通勤と散歩くらいである。

毎日の通勤と散歩は、この一年変わらないので、摂取エネルギーが増えたため、太ったに違いない。朝食はトーストにヨーグルトにコーヒーで固定している。

食堂を使う前は、コンビニでおにぎり2個とサラダを買っていたので、糖質はおにぎり2個の飯だった。それがどんぶり飯になり糖質のとりすぎとなった。

ということで、多少ダイエットして、これ以上体重を増やさないようにするという新たな目標ができた。

母の家系が太り気味の人が多く、自分も気をつけていた。最近身近なひとが、糖質ダイエットで数ヶ月で20キロ減量した。糖質ダイエットしている芸能人はよくいる。米はこの10年食べていないというGACKTさん。肉と大豆と野菜で生命をつないでいる。要は人類が農耕社会を形成し、米や小麦を栽培して、安定したエネルギー摂取を行うことができたという経緯がある。糖質ダイエットは、狩猟社会の食生活に戻ることらしい。食べられるのは、野原の草と森の木の実やきのこ。それに狩りで捕まえた動物や魚。

ハングリー精神旺盛の人間は、糖質ダイエットに向いているらしい。

さて自分はどうしてやせるのか? とりあえず、運動量を増やして、エネルギー消費を増し、どんぶり飯を半分にする日を週2日設けるという策をこの一年続けることにする。一気に制限するのは、リバウンドを生む結果になる。少しずつ減らして、効果をモニターすることにしたい。

 

後悔しても始まらない

メルマガで紹介できなかったゲーテの言葉です。

新潮文庫の「ゲーテ格言集」は、安くてお奨めの本です。

和訳がいいのか、すらすら頭に入ってくる。

後悔しても始まらないことをうまく表現している。

「あせることは何の役にも立たない。

後悔はなおさら役に立たない。

前者はあやまちを増し、後者は新しい後悔を作る。」

気持ちのあせりと後悔は、「再生産」されるという。

日常何度も経験します。

気持ちがあせると、注意心が欠け、あやまちを増すことになる。

高齢者相手の詐欺師が使う手です。

息子さんが事故を起こし、至急訴訟費用が必要になったと電話してくる。

高齢者の気持ちをあせらせ、大金を振り込んだり、自分でお金をもっていったりする。落ち着いていれば、息子に再度確認すると電話を切れるはず。

後悔のほうは、熟年離婚や定年離婚。

子育てが終わり、一息つくと自分の人生を回想する時間ができてくる。相手の選び違いが、こんな人生を引き起こしたと後悔する。そうすると、もっとよい夫と結婚していたら、もっとよい人生が送れたかもしれないと新たな後悔が生まれる。

後悔しても何の役にも立たない。大事なのは、これから残った人生をどう過ごすかということ。過去は取り返せないが、未来は作っていける。思い通りにならないかもしれないが、自分の意思が反映できる。

ゲーテさんもいろんな後悔をしてきたんだろうなと彼の言葉から推し量れる。

この言葉、前向きでいいと思いませんか。

 

TaoChat@901編集後記

メルマガが900号を超え、1000号に向け気合が今一度入りました。

創刊したのが10年以上前なので、よく続いたなと自分でも驚くほどです。

その理由を考えると、老荘思想によるところが大きかったと感慨をあらたにします。

老荘思想の基本は、自然にならい、決して気張らず無理をしないことです。

それが、毎週土曜にささやかな文字数の原稿を書き続ける基本姿勢のもとになりました。それに毎回老子荘子では飽きるので、なんでもありの言葉をお届けするように心がけました。

今回は、ゲーテから知恵をいただきました。

カエルの言葉から、芭蕉の句を真っ先に思い浮かべました。

そうだ、芭蕉さんも、耳にしたのは、カエルの声なんだ。

そこからイメージを膨らませ、古池のカエルを連想し、池に飛び込む音まで聞こえました。カエルの声が聞こえるなら、水があるに違いない。水かあるなら、古池と名月かというようにイメージが膨らみ、カエルがそこに飛び込む動きを音にして加えた。

そうなると静止画ではなく動画の世界となる。

とうのゲーテさんは何を言いたかったのか?

ネット検索して、この言葉を取り上げている人が結構多いのを知りました。

必要条件と十分条件。高いものがいいのものとは限らない。しかし、いいものは高い。論理学ではそうなりますが、ゲーテさんは、この言葉でなにかを語りたかったに違いない。

水のあるところにカエルがいるとは限らない。

自然の神秘に気づく人は数少ない。

まだまだ気づかれない自然の神秘はあまたある。

カエルの声が聞こえる所には水がある。

自然の神秘に気づき始めた人は感動の声を発する。

きっとそこには、姿を現し始めた神秘があるに違いない。

IPS細胞の発見はそういった水に思えます。

からだのいろんな細胞に分化するおおもとの細胞。

STAP細胞になると、カエルが水を見誤ったケースです。

ゲーテさんの前提は、カエル自らが、神秘に気づく好奇心と感性と観察力を備えることなんだとと、今回の言葉をかみ締めてわかった次第です。

一極集中の怖さ

首都圏の人口流入が減らないというニュースを聞いた。

それが通勤ラッシュや交通渋滞を生む。

何故人口流入が止まらないかというと、官庁が東京に集中し、企業の本社が東京に集中し、勤め人が近郊から集まり、道路が混み、交通機関が混み合う。

政治経済の中心が一極化している。

北朝鮮の脅威を防ぐため、政府は防衛のための兵器を買い込んでいる。

しかし、北朝鮮の核爆弾が数発東京に落ちれば、日本の政治経済は再起不能に陥る。

そういった危機的な状況に日本政府は非常に楽観的である。

アメリカが安保条約で、ミサイルを迎撃してくれるとたかをくくっている。

核兵器を世界一持っているアメリカでさえ、経済の中心はニューヨークにあり、政治の中心はワシントンDCにある。学問の中心は、ボストン、プリンストンスタンフォードと全国に散らばっている。リスクを分散しているから、1回の攻撃では国は滅びない。

東京のリスクは、北朝鮮だけでない。

地震や大雪や大雨でも、機能停滞する。

人間のからだですら、頭にすべての機能が集中しているわけではなく、心臓に全身にエネルギーをとどけるポンプ機能、消化器官には外部から栄養を取り込む機能、皮膚は体温を一定に保つ機能、手足には運動機能と、全身に機能分散して、外界のリスクに備えている。

日本だけが、一極化して、リスクまで集中させている。

エネルギーだけ、他県に依存している。自分で自立するなら、東京になぜ国策で原発を配備させないのか。

安倍内閣の成長戦略は経済に集中して、この国のリスクを軽減する戦略になっていないのが気掛かりである。明治時代の一極集中による成長政策を踏襲しているだけで、関東大震災の反省を真剣に考えていないように見える。

災害にあってから考えることは、福島原発災害だけで十分である。

 

TaoChat@900編集後記

北陸地方の大雪のニュースを聞いて、藤沢周氏の「雪闇」を思い出した。

雪国の人間は、雪に挑むことはせず、雪に耐えることを知っている。

「雪闇」にはそんな描写が書かれていたと思う。

雪かきは、生きる術として雪につぶされないように雪をのける人間の最後の抵抗だと思う。

雪国の人々へのメッセージが蕪村の句である。

蕪村の句は、厳しい自然の前に人間がなす術を失う姿を詠む。

それは悲劇ではなく、暖かな心をもって、自然を見つめる姿であると思う。

「愚に耐える」というのは、よい言葉である。

「窓の雪」すら明かりを与えてくれない。

「窓の雪」で読書できなくても、怒りは湧かない。

自然に怒っても仕方がない。

蕪村は、思わず微笑んでしまう。

そうだ、雪の竹は、もう読書を止めて、ばか者でいいじゃないかといっている。

「愚に耐える」とは、自然を前に無力な自分を自覚することなんだ。

そんな思いを蕪村は抱いたのかもしれない。

雪だけじゃない。最近多い火山活動。

富士山だって最近の噴火は宝永大噴火でつい300年前。

いつ何処で活動が開始するかわからない。

そういった状況に直面したら、運を天に任せて逃げるしかない。

蕪村の句には、「愚に耐える」人間の歴史を感じた。

 

後継者

優良企業を見ていると、後継者がいそうな企業と、いなさそうな企業がある。

後継者がいなさそうな企業は、今の経営者のリーダーシップが強すぎて、下が皆イェスマンになっているケースである。

例をあげるとソフトバンク孫社長の次はいない。孫社長が消えれば、経営は縮小する。ソフトバンクはそもそも投資会社なので、個人的な手腕に負う所が大きいのは事実である。

他には、富士フイルムの古森会長。こちらは数日前の日経新聞にインタビュー記事が出ていた。それによると、古森会長は、後継者は育てるものじゃなく、這い上がって来る者だという。運動部の哲学を全うしている。これが青学の駅伝チームの監督になると、やはり育てるものだというんじゃないかと思われる。

軍隊でも企業でも、兵卒を扱うには、アメとムチを両方を使うというのは孫子の教えるところである。ムチをつかって這い上がってくる者をふるいにかけるというのが古森会長のやり方。これをやると、這い上がってくる者は上司の目の色をうかがって、気に入られるように振舞う。その結果、自分をこえる経営者は出てこない。前の経営者の手法をそのまま踏襲して、挑戦する姿勢は期待できない。

富士フイルムの現社長は、会長のロボットにすぎない。

アメを使いすぎると、部下は目を盗んで不正を行うことになる。今回の子会社富士ゼロックスの海外での不正会計は、その結果だと古森会長は考えた。

アメを使おうがムチを使おうが、現経営者が将来を託すことのできる後継者を育てることは、事業継続性にとって必須である。不慮の事故で自分が死んでも、何事もなかったように事業が発展することが求められる。

あの社長や会長が突然なくなったら、現経営陣はあたふたするだろうなと思われる会社は何社かある。ワンマンであるほど、それが消えたら、残された人間があたふたする。

戦国時代を見れば、家督争いがいきなり生じる。後継者を決めずに手腕をふるったつけが死後に回ってくる。

後継者に自分のイェスマンを選ぶと、その場しのぎで終わる。

後継者は、自分を乗り越える手腕を持たないと、会社の将来性はおぼつかない。

古森会長自身が、前社長を乗りこえて、フィルム事業からの脱皮を図った。

しかし、日経のインタビュー記事を見ていると、80歳を超えてもマネージメントをやるという。自分が命ある限り経営に関わると宣言しているようで、死んだ後どうするということまで見据えていない。運動部ののりで、バイタリティある奴は、自分と同じように何もしなくても這い上がってくるという哲学である。

これが功を奏するか、最後を見届けたい。

老荘の哲学からすると、バトンタッチで会社は存続する。おれの貢献だと主張しては、バトンを受け取るものが受け取りづらくなる。おれの貢献は無のようにいって、バトンを渡した方がよい。受け取る人はその姿を見て、自分もそれにまして少しは貢献できそうだと考える。

ワンマン経営者は、自分がバトンを受け取ったときのことを思い出すべきである。

前の社長は自分を育てたから自分を社長に抜擢してくれたのであり、自分ひとりの実力で地位に就いたわけではないことを。

TaoChat@899編集後記

仮想通貨の不正流出問題がクローズアップされた一週間でした。盗まれたお金を使わせなくする策が採られましたが、盗まれたお金を取り戻すことはできません。

銀行券で言えば、紙幣に赤インクを塗って、盗まれたお金だと明らかにすることです。基本的にお金を取引所に預けた人はそれが盗まれても補償を受けることはできません。

ただ今回は、取引会社の自己資本が大きく、好意で返済してくれるというお話です。

まあ、美味しい話にはそれなりのリスクを伴う一例だと思います。

それはさておき、いいニュースは将棋界の藤井君が五段昇段できたことです。

最年少記録ではレジェンド加藤一二三さんに勝てませんでしたが、中学生初の五段昇段です。将棋の道を邁進する藤井君ですが、強くなる方法として、AI将棋を用いて、自分の手を自己診断することがあります。

機械知をベースにするのは、将棋界では脇道かも知れません。

しかし、人間では気づかない手を教えてもらうのも、一つの逃げ道です。

逃げ道を知った上で、どの道を選択するか、選択の幅を広げるというのが、今回の禅語に通じるところです。

そもそも生命の進化は、一本道を進んできたのではなく、逃げ道を選択しながら、生命をつないで来た歴史です。

老荘の考えは、自然の道が人間の道の手本になるという考えです。

そうすると、わき見しながら、進む道が遮断されたら、どの道を選択するか常に考えるというのが、サバイバルの基本といえるでしょう。

人間、命を与えられたなら、どのようにそれを次世代につなげていくかが、人間の道です。

国の道は、借金を未来に残すのではなく、この国に生まれてよかったと未来の子が感じる国を作ることだと思います。クレジットカードのような借金で経済成長し、格差社会がはびこる未来を子供たちが喜ぶでしょうか?

そのころには安倍さんも黒田さんもこの世にいないので、経済成長ありきの議論が先行するわけです。責任を問いたくても、死者に口なしです。