OiBokkeShi

NHKのETVで「こころの時代」をやっている。

お坊さんの話だったり、こころのケアで活躍されている方々のお話を聞ける時間である。かれこれ10年以上は録画して、時間があるときに見ている習慣がついた。

実体験に基づいた話をされるので、毎回心が熱くなって見終わる。

昨日は、菅原直樹氏のお話に感動した。

菅原直樹氏は介護福祉士の仕事を通じて、老人を主役に演劇を公演し、人間とは何かを考えてもらう活動を続けている。

OiBokkeShiが、この演劇集団の名前である。

老いとぼけと死を続けた名前だが、そこに必ず自分も行き着くと認識することから、その活動は出発している。

感動した言葉がある。

「人間はぼけても感情はぼけていない。」

「人間は老いても役割を果たすことに生きがいを感じる。」

「徘徊は現実の世界と夢の世界を行き来する行動である。」

ぼけを正すのではなく、ぼけに感情的に寄り添い、こころを共有する。

ぼけは理性を失っている状態と一般には消極的に評価されるが、人間は理性とともに感情を持っている。感情の側面で思いを共有できれば、そこには幸福な時間が訪れると考える。

「人間は老いても役割を果たすことに生きがいを感じる。」

は、ぼけ老人もりっぱな演劇者として役割を果たせると考え、実際に演劇集団を立ち上げているのが感動したところである。

人間とは何かを考えるとき、高齢者は自分の人生の手本となる。

ぼけて徘徊する老人を受け入れるには、地域の人々の協力が必要になる。

自分が安心してぼけられる社会が、これからの日本の理想の姿になるだろうと感じた。

徘徊している人は自分の感情の中ではつじつまがあっている。

夢と現実の区別がつかないから、行動がおかしく見える。

徘徊に向き合うには、自分も夢の世界に入り込まないと相手の感情に寄り添えない。これは口で言うのはやさしいが、寄り添いすぎると自分も現実の世界にもどれなくなる。こころの共有ができる一瞬を大事にする姿勢が必要なのだろう。

自分が死ぬときも、こころの共有ができた一瞬のあとに死にたいと思った。

腕時計型携帯電話その2

けさの日経新聞をみていたら、スマートウォッチ特集が出ていた。

そこに、Apple watch series 3が載っていて、通信機能を内蔵した腕時計とあった。

それこそ、私が求めていたものであることがわかった。

早速ネットで調べたら、今年の9月に発売開始とある。

iPhoneなしで、通話もでき、メールも見る事ができ、音楽も聞く事ができる。

肝腎の入力機能は、音声入力と手書き入力機能を備えている。

通話は、bluetoothイヤホンで行う。

カメラなんてついていなくて、スイカ機能があるので、腕時計をかざして電車に乗れる。

やっぱりAppleはユーザが欲しいものを先取りする。

yodobashiで価格をみたら、53000円でちと高い。

20000円~30000円に落ち着いたら、買ってもいいかなと考えてしまう。

TaoChat@887編集後記

先週末、旅行に出かけてしまい、編集後記を書きそびれた。

今回は、ラッセルの言葉を選んだ。

ラッセルの幸福論が100分de名著でやっているので、いい言葉がないかネットで調べた。挙げた候補は、今回の言葉のほかは、

1. War does not determine who is right - only who is left.

2. I would never die for my beliefs because I might be wrong.

3. Life is nothing but a competition to be the criminal rather than the victim.

4. Most people would sooner die than think; in fact, they do so.

5. Democracy is the process by which people choose the man who'll get the blame.

1は、北朝鮮への圧力強化に結びつく。戦争というのは正義の証明じゃなくて力の証明。生き残るのは誰かを決める。余りにも真実すぎて、シリアスな言葉で控えた。

2は、信念のために死ねない。なぜなら信念は誤るから。キム・ジョンウンに聞かせたい言葉だが、笑いが消えるので控えた。

3は、生きるということは、犠牲者になるよりむしろ犯罪者になるための競争である。生きるということは何らかの罪を犯しながら生き残っていること。競争に負けた者は犠牲者となる。9人の若い男女が数ヶ月の間に殺害された事件が起こっているので、これもシリアスな言葉で控えた。犯人はまさに競争をしているかのように犠牲者の山を築いた。

4は、殆どの人間は考えるより死を選ぶ。実際にそうする。上記の事件は、犯人が死にたい人を募って接触の機会を得た。この言葉も、死ぬ前にもっと考えろと諭すが、現代人には通用しない。考えれば考えるほど、死にたくなる人もいる。

死の一歩手前で引き返すことができないのが、死の怖さなのかもしれない。

生きようと考えることは苦しいかもしれないが、考えなくなると死ぬしかなくなるのが生の厳しさなのかもしれない。ということで、この言葉も最近の事件を想起させるようで控えた。

5は、民主主義の本質であり、誰が責任を負うのか選ぶプロセスが民主主義という。選んだ本人の責任が一番大きいことを忘れるひとへの警鐘でもある。

民主主義がない中国やロシアや中国は、国民は国を選ぶ責任がないから、すべては自己責任になる。これも余りにも実すぎて、シリアスな言葉で控えた。

ということで、減点方式で候補の言葉が落ち、多少老荘的香りがする言葉が選ばれた。

無駄の本質を語る言葉である。

腕時計型携帯電話

通話可能な腕時計型携帯電話が欲しいとブログに書いたが、既に複数商品化され販売されていることを知った。

ひとつは、キッズケータイのmamorio watchである。デザインは子供向けだが、腕にはめたまま通話ができる。

デザインを大人向けにして、高齢者に持たせれば、どこにいても位置情報を入手でき、電話もすぐできる。メールも打てるから、高齢者が孤独に陥ることも減る。

auでサービスをやっているとのこと。

二つ目は、韓国サムスン電子が4年前に既に販売していた。「ギャラクシーギア」という。通話相手の声ははっきり聞こえるが、こちらの声は拾わないので、声が大きくなり照れくさいと紹介記事に書いてあった。今はやっていないところを見ると売れていないようだ。当時の価格で36万ウォン(約3万3000円)とあるから、技術進化を考えれば、1万ちょっとで売り出されてもよいはずである。カメラもベルト部についている。

bluetoothのマイクつきイヤフォンをつければ通話は問題なくできる。

売れていない理由は、通話の機会が少ないのと、腕時計が邪魔ということなのかもしれない。年寄りになるとスマホが邪魔で腕時計は邪魔でない。

三つ目は国産の『ARES EC309』である。2014年に予約受付をしている。いまAMAZONで16000円で売っている。スマホを完全に腕時計化しており、カメラからメールから通話、FMラジオもついているものすごい代物である。

これがこんな値段でいいのといった感じだが、売れていないようだ。

機能的に盛り込みすぎで、カメラ機能などいらない。

要は、メールとか通話が行えればよい。鍵は入力方法である。送られたメールの内容はディスプレイで確認できるが、返しのメールの入力を音声認識で文字に変換する必要がある。腕時計の入力画面も小さくなるので、仮想キーをどのように空間に表示するかが問題になる。そこらへんが技術課題となる。

スマホはどこかに置き忘れるが、腕時計は腕についてくる。

今は、こどものmamorio watchで重宝されているが、これから再度ヒットする商品が、腕時計型携帯電話から出てくると自分的には信じている。AI技術もそこには生かされるはずで、普段使っている定型文は学習機能で音声からすぐにテキスト変換されるはずである。どこに句読点を打つか学習できるはず。音声的に文の最後に「まる」といえば、句点として認識できるようになる。

ということで、腕時計型携帯電話はすでに技術的には実現しており、そこにどのような機能を盛り込み、どのような機能を切り捨てるかが、今後の商品化の鍵になる。

いま、スマホと連動する腕時計は、スマホの飾りでしかない。

これからの腕時計型携帯電話はスマホを必要としない独立した端末となる。

 

 

こどもが始めに覚える言葉

親に抱かれた赤ちゃんが始めに覚える言葉。

バー、マーと親があやす言葉だろう。

次に、2語になると、パパー、ママーというように同じ語を2つ重ねる言葉。

次にどういう言葉を覚えるか?

駅でそれを考えさせる場面に出会った。

母親が乳母車を押して、男の赤ちゃんを乗せて急いでいる。

男の赤ちゃんは泣いてわめいている。

そのときの言葉。

「やだー」という言葉。

いいか悪いか答える基本の言葉。

英語なら、YAHかNOだろう。

大人の行動を否定する言葉。

自分の意志をもって否定する言葉。

丁寧にいえば、「いやだー」だが、いを略して「やだー」となる。

否定の言葉は、できるだけ短い方がよい。

短さは、意志の強さを表わす。

「やだー」を最初にいう子は大人になって逞しくなる。

大人の世界では、まず結論からいうことで話は始まる。

「やだー」の次に、その理由がくる。

結論を先に言うのは勇気が要る。

でも言われた方は納得がいく。

長々とお説教が続き、最後に結論がくると、何のために長々と聞いていたのかわからなくなる。結論を聞けば、理由の説明で、結論がくつかえるか考える事ができる。

それだけ聞き手に猶予を与えることになる。

「やだー」を最初にいう子は、大人になる入り口にすでに立っているといえる。

親であっても、YESかNOか、結論を先に言うと、「なぜ」を理由を聞いてくれる。

話はそこから始まり、理由の説明で自分の考えを話す機会を得る。

とすると、親の教育は「やだー」を聞いた親が次に応じるかにかかってくる。

「だめー」と返すのではなく、「どうして?」と聞いて子供の考えを聞く。

駅の母親はなんていったかは聞き漏らしました。

格安スマホ生活

格安スマホにかえて、一年ちょっと経つ。

格安スマホのプロバイダーは楽天モバイル

楽天モバイルにしてから、イオンモバイルの方が割安であると気づいたが手遅れ。

かみさんはSURFACEを使っていて、そのSIMはイオンモバイルにした。

データ量あたりの料金が安く、途中で解約しても違約金をとられない。

SURFACEを買ったとき、Yモバイルと契約して、ルータ込みの契約をしたばっかりに、いまだにYモバイルにルータの料金を払い続け、中途解約金も払った。

しかし、その額をすべて考えても、1000円足らずで4GB/月が使える。

スマホは、ZTE blade e-1で1万ちょっとの代物だが、意外に重宝している。

月2GB+音声のSIMで楽天モバイルと契約している。

ゲームは数独だけで、通信データは、もっぱら、SPOTIFYでボサノバやJAZZを聞くのに使っている。データは1.5GBくらいで、翌月に0.5GBを繰り越せる。

家では、朝日ネットで光ネットに入っているので、無線ルータを使って、家でのWifiスマホはネット接続している。アプリの更新は家で行っている。

最近、2台目のスマホを買った。こちらは、SIMなしで家で使っている。ZTE blade e-1は1日で電池がなくなり、充電中に2台目のスマホを使っている。

中華スマホがはやっており、ZTE blade e-1も中華スマホ。2台目は、VAIO Aで国産と思ったら、台湾で生産しているらしい。このVAIO Aは2万弱でNTT-Xで買った。

VAIO Aは、メモリーが少ないようだが、ZTE blade e-1を使いこなしている自分には左程問題はない。

フレームがアルミ仕様でがっちりしているのがよい。電池の持ちもZTE blade e-1より多少いい。ZTE blade e-1が潰れたら、VAIO Aが代わりになる予定。

スマホの恩恵は、SPOTIFYである。音楽をいくら聞いても無料というところがいい。

複数端末にアプリをDLして、家や会社や通勤途上で、駅のホームで、好きなところで聞ける。音質も悪くない。よくこれで商売が成り立つと思う。広告なしのプレミアムもあるようだが、広告を聞いても、無料は老人にとって有意義な年金のようなものだ。

格安スマホのいいところは、SIMフリーの好きなスマホが買えて、一番安いプロバイダーと契約できるところである。契約に縛りがあるのが一番いけない。端末と抱き合わせて、いかにも安く見せるところがいかがわしい。

イオンモバイルのいいところは、サービスの質がきめ細かなところと、実店舗を持っているので、問題があればそこにいけばいい。

根が年寄りなので、無線より光ファイバーの方が安定してると思い込んでいる。

無線は傍受可能なので、まだ信頼していない。

それでもスマホは、モバイルで音楽が聞けるので、手放せない。

音声の電話は、腕時計の形状に収め、腕時計で音声通話を、スマホでデータ通信ができればそれですべてうまく行く。今、スマホで音声電話を使う機会がどれだけあるというか。固定電話がなくなっても、NTTはファイバーで食っていける。ファイバーを通じて、ネット電話や、ビデオやTVなどの大容量通信が可能だからである。

腕時計電話が早く出てこないか待っている。

腕時計にSUICAもつければ、定期も時計をかざせばよい。

スマホを改札のリーダーに近づけるより、よっぽど気楽に行える。

腕時計はスマホbluetooth通信を行ってデータをやり取りし、表示素子も機能を備えていればよい。

大事なのは、スマホを切っても単独で腕時計が電話機能が果たせることである。

G-SHOCKが作れるなら、G-PHONEも作れるはず。

TaoChat@885編集後記

衆院選挙が終わり、安倍一強に落ち着いた。

一番危惧していた結果になったが、安倍さんの絶妙のタイミングで衆院解散を行い、野党の足元をすくった感じである。

一強になったことで、思うように政治を動かせる環境が整った。

これからは何が起ころうと国民は文句は言えなくなることを覚悟しなくてはならない。

今回のTaoChatは、季節柄の話題に終始した。

ハロウィンといえば、仮装行列と思っている人も大いに違いない。

ハロウィンを知ったのは、今から30年ほど前、アメリカ西海岸に駐在していたときである。道路わきにでかいカボチャが転がっていて、それを使ってジャック・オー・ランタンを作って飾る習慣を知ったときである。子供は袋をもって玄関先でTrick or Treatをさけび、お菓子を家人からもらう。

そんな風習がいつから日本に入ったのか定かではない。

お祭り好きの日本人だから、きつかけがあれば、仮装行列は大歓迎なのだろう。

日本のハロウィン光景は確か蕪村にもあったはずと思い、「蕪村句集」で狐火を検索した。ヒットしたのがこの句。

かぼちゃの灯篭よりもっと迫力のある髑髏の灯篭である。

それも玄関に飾るのではなく、野原におぼろげに光る灯篭である。

かぼちゃに比べれば、怖さ100倍である。

西欧では、ひとは死ぬと悪霊に変わると思われており、毛嫌いされる。

マイケルジャクソンの「スリラー」はゾンビ化した悪霊が追いかけてくる。

しかし、蕪村の髑髏は道しるべとなって、死人の霊は、旅人の旅を助けてくれる。

死人の霊は、我々生きている人間を見守ってくれる。

ハロウィンは、日本で言えば、夏のお盆である。

お盆のときに玄関に飾る精霊馬は、先祖の霊が乗る馬である。

死人の霊は、やさしい霊である。

霊と語り合えるひと時を日本人は大事にする。

蕪村の髑髏は、旅の途中で亡くなった人の霊を象徴する。

霊の存在を遠くから感知するために、狐火が必要になる。

狐火は鬼火ともいう。

鬼火は、死人の魂が燃えて空中を漂う火の玉である。

鬼火によって、遠くから道しるべの存在を知る事ができる。

単なる頭蓋骨では、見失うおそれがある。

蕪村の句はうまく情景を作っている。

鬼火に誘われた旅人が、髑髏を発見して、死者の霊の助けに感謝する。

風雨に吹き曝されても、毎晩灯台のように、道しるべのともし火を放ち続ける。

人は死んでもひとの役にたち続ける。

蕪村の句は、日本版ハロウィンの真髄を語っているように思う。