TaoChat@877編集後記

昨夜は寒く、朝4時ごろ寒さで目を覚ました。

夏蒲団では足りず、厚い布団を押入れから出してかぶった。

今回は、荘子の言葉を選んだ。

2000年以上昔のひともよく考えたことがよくわかる。

今みたいにスマホやゲームアプリで暇をつぶす機会が多いと、考える事が減ってくる。

昔の人は、空を眺め、飛ぶ鳥の影を見つめて、この影は動いているように見えるけど、本当か?と考える機会にめぐまれる。

荘子の言葉をかみ締めながら、そんなことを思った。

物体とその影は、1対1で決まっている。

この関係は動かしようがない。

物体があらたな位置に動いたとき、前の位置の影はない。

物体の位置をそのまま影は写しているので、この関係は動かないという。

影が動いて見えるのは、アニメのようだと荘子はいう。

まさに、静止画のつなぎあわせで、自分が動いていると知る事ができる。

人間の脳は、情報量がオーバーフローしないように、情報量の少ない静止画の変化で、脳内で動きを作り出している。

ひょっとして、生きている自分、絶え間なく動いている自分の、生の実感も静止画で味わっているのではと思いつき、締めに使った。

蕪村の俳句はまるで天空から眺めた映像を17文字に落としていると時々書いているが、蕪村は、いろいろなアングルから光をあてて、映像を何枚かの静止画(言葉)に落とし込んでいるかもしれない。句を読むわれわれが、頭の中で静止画をつなぎ合わせ、映像を再現しているように思えてきた。

再現映像のほうは句を読む人の数だけあるわけで、蕪村が感じた映像より豊かな映像を生み出す可能性だってある。その可能性を残した表現のほうが文学的には優れたものであるかもしれない。

荘子の言葉は、生きがいという脳内処理にまで話を膨らませる機会を与えてくれた。

 

車社会の行く末その3

VWの車に買い換えたのは、国産車に乗り続けたので、ドイツ車に乗りたいと思ったのと、デザインが気に入ったためである。

VentoのブルーメタリックのAT車に乗った。セダンでトランクも大きく、ドライブ旅行に向いている。高速運転でもエンジン音が大きくなく、ハンドルも安定している。車幅も家の駐車場にきりきり入る。シートも硬めで疲れない。

運転する楽しみが湧いてくる車だった。燃費がいいわけでもなく、故障が少ないわけでもない。

故障はむしろ多かった。一番ひどいのは、女房が運転したときでハンドル操作が効かないトラブルがあった。下り坂の急カーブでなかったのが幸いして大事故はおこならなかった。ディ-ラーに聞くと、ボルトが折れて、パワステが利かなくなったとのこと。ひとの命をあずかる車で、ハンドルが回らなくなるとは納得がいかず、ボルトが折れた原因をドイツの本社に問い合わせてもらった。そうしたら、メキシコの工場で生産した車で、トルクをかけすぎて締めたボルトで、他国でも同様のトラブルが出ていたと報告があった。そんなことは、日本でもリコールをかけてボルト交換すれば済む話でなぜしないかと叱責したのを覚えている。

故障でいえば、パワーウィンドウのワイヤが切れて、真冬のドライブで窓を開けて高速を走ったこともある。その前のカローラもパワーウィンドだったが、そんなトラブルは一度もなかった。パーツの寿命が短いのか、設計が悪いのか、とにかく故障が多く、メンテ費用がかかる。いま、Poloに換えて7年経つが、故障はウィンドーウォッシャのチューブが壊れたくらいで、故障は少なくなってきている。

Ventoはもう生産されていないが、2003年当時から比べると、VW車もかなり増え、Beetle, Golf, Polo, Upも道でよく見かけるようになった。最近ではCooper人気も高まっている。

車に長く乗ってきて、驚く事にエンジン制御がコンピュータで行われるようになり、エンジンの不具合は、コンピュータ動作で説明を受けるがよくわからず、ディラーもプログラムを書き換えたで済ませる事が多い。一言でいえば、ブラックボックス化している。そうなるとコンピュータが暴走を始めると何が起こるかわからないわけで、空恐ろしい乗り物に乗っている気分になってくる。

今後はマニュアルに切り替えられる車も必要になる。パワーウィンドーの故障のときは、窓はマニュアルのほうがよいとさえ思った。

もうひとつ感動する点は、ナビである。昔は地図を片手に、道に迷いながら、ひとに聞きながら目的地にいったものである。

いまでは、スマホGPSを使って、ナビゲーションしてくれる。海外でレンタカーを使うときも、スマホはネット接続しないでも、GPSとナビアプリで、道を知らなくてもどこにでも行ける。これは昨年格安スマホに換えてから、最大の感動である。

GPSは、スマホの現在位置を地球表面を回る通信衛星の信号から計算して、緯度経度で教えてくれる技術である。ナビは、目的地の緯度経度と現在位置の緯度経度の差分を、道路の線分情報から経路に変換してくれるソフトウェアである。昔の映画でいえば、007の世界である。

これを軍事利用すれば、テロリストの車に発信機をつければ、移動中の車にピンポイントでミサイルを当てる事ができる。テロリストの車の緯度軽度がわかるから、ミサイルにナビソフトいれておけば、車がどんなに経路変更しても、リアルタイムに経路を再計算し、到達目標に的中できる。

自動運転にもナビは使われるが、こちらは道の線分情報とは別に、障害物を避けながらハンドル操作とアクセル・ブレーキ操作をする技術が必要になる。

道路の状況をセンサーで認識分析することになる。センサーで認識してから、判断までの時間がかかると、操作が遅れる。さらに、センサーから操作までの期間の間に、別の障害物が発生すると、どちらを優先させるべきか、コンピュータは迷う。

人間でも、とっさの判断は誤る場合がある。

自動運転はあくまでも補助的な機能と考えた方がよさそうである。あるいは、レール上を走る車か、専用道路を走る車に適用できそうである。

駆動方式も、ガソリンエンジンディーゼルエンジン、水素エンジンとエンジンを使うものと、ハイブリッドやEVのようにモーターを使うものがある。

環境からすると、水素エンジンやEVのように電気で走る車になっていくのが当然の流れである。ただ、EVは充電に多量の電気を使うので、EVのために原発にするのは時代に逆行し、充電のために、家庭ごとに環境エネルギーを利用した発電機を備える方向がベターであろう。それが難しければ、EVの利用時間を決めて、それ以外は公共用の電気バスに乗るような社会に移行すべきであろう。

車は何故乗るのか? 

運転する楽しみを奪わずに、好きなところに環境を損なわずに安全にいけることが究極の目標になる。

そこを行き着くには、どのような車社会になるのか、次の回で考えたいと思う。

 

TaoChat@876編集後記

今回は「孫子」で行こうと今朝決めました。

無形の戦略が、虚実篇に出ていました。

無形の戦略が今活きているのはどこだろうといろいろ考えました。

何を考えているかわからない人って、意外に強いよなあとか。

身近な人に焦点をあてて書いてみようかと考えているうちに、もっと身近な話題にのぼるニュースは?と思いつきました。

前々からグアムにミサイルを撃ち込むと騒いでいる北朝鮮

なんで核兵器開発をおかまいなく続けていられるのか?

そこにはアメリカの戦略と中露の戦略がぶつかり合い、アメリカの甘い対応がそれを招いたことを知りました。

無形の戦略が今活きているのは、北朝鮮じゃないかという視点で書いたのが今回です。

何を考えているのかわからない国が北朝鮮で、その無形戦略が今活きている。

何を考えているのかわからない人で言えば韓国とアメリカの大統領。

そちらは国民が見捨てれば決着がつくが、北朝鮮のほうは、国民はとうの昔に見捨てられているので、どうしようもない。

それに、北朝鮮は、朝鮮戦争という歴史がついてまわり、北朝鮮を支援する中国とロシアが抜け道になるので、始末が悪い。

6カ国協議で、アメリカが中国に主導権を渡したのも失敗。

北朝鮮テロ支援国家リストから外したのも失敗。

すべてにおいて北朝鮮の無形戦略を甘く見ていたのが、今の問題に至る。

国際政治において、外交の失敗は自国に帰ってくる。

拉致問題も、日本から容易に連れ去る事ができたという観点が忘れられている。

工作員が容易に入国でき、日本の海岸に工作船が容易に近づけたという警備の甘さがそのまま現在にもつながる。必要があれば、北朝鮮は今でも人的資源を日本から連れ去る事ができる。拉致問題は過去で終わらないというのが自分の見方です。

話が孫子から国際政治になってしまいましたが、北朝鮮は、アメとムチが通用する国ではないことをアメリカはもっと早く知るべきでした。

韓国は、真剣に朝鮮統一を考えるべきです。

西ドイツと東ドイツが併合して民族が統一されたように。

北朝鮮に併合されるか北朝鮮を併合するかわかりませんが、民族を統一して、東アジアの三極の一つとして、安定な均衡関係を保つために貢献すべきです。

 「孫子」の言葉を発端に、朝鮮半島の安定化まで話が膨らみます。

中国の古代思想は、いまも活きることがよくわかります。

古代中国の春秋戦国時代に、存亡の時どう生きるべきかのアイディアはすでに出尽くされた感がありますね。

 

車社会の行く末その2

免許をとったのは、就職後辻堂の北に位置する湘南ライフタウンに住まいをもってからである。会社まで車だと15分でいけるが、バスと電車とバスで1時間半はかかってしまう。そんな陸の孤島では自動車が必要になる。当時はマニュアル車で教習を受け、仮免に1回落ちて、数十万かけて免許をもらった。入社後8年目くらいに米国西海岸に駐在となり、州の免許をとったが、そちらは15ドルで免許がとれた。この違いは何なんだと当時も今もおったまげている。

車は、家内の実家からマツダの中古ファミリアをもらった。こちらも団地横の路駐である。こちらは、クーラーもラジオもついており、快適な通勤生活を送った。運転に慣れた頃、日産サニーのマニュアル新車を買った。当時は大衆車が技術的にも一番成熟していて安全だという認識があった。それに価格も当時の収入に見合っていた。学生結婚で入社したので、家族もちの車は、セダンで5人乗り大衆車に決まった。

米国西海岸の駐在時に乗った車は、会社から支給されたGM celebrity 1985モデルの新車だった。こちらはボディの鋼板が厚く、サニーに乗っていたドライバーからすると戦車のようで、ぶつけられても相手の車がへこむ感じがした。車内も広く、大人6人は乗れた。燃費が悪くてもガソリンがガロン(4L)で1ドル40セントくらいで気にせず遠距離ドライブができた。最長で、Calfornia からTexasまでドライブしたこともある。とにかく、ハイウェイは無料で、ハイウェイ近くにモーテルが必ずあるので、お金と時間と体力さえあればどこにでもいけた。アメリカで一番売れるのがジープやピックアップトラックSUVであることがよくわかる。頑丈でどんな道でも心配なく運転できることがベースにある。燃費とか小型とかいうのは、都会の話になる。ハイブリッドがもてはやされるのは、環境に配慮する西海岸やニューヨークのマンハッタンのTAXIになる。

逆にアメ車が日本で売れないのは、ガソリンが高く道が狭く、高速料金も高い国だからである。トランプ大統領がどんなに頑張ってみても、たとえアメ車の関税がゼロになっても売れないのは予想がつく。

アメリカは真の車社会で、運転が楽しくなる社会である。シェールオイルでガソリンがなくならない限り、EVには移行しない。TESLAが見ているのは中国である。人民が皆ガソリン車を持ち始めると、中国の都会は公害都市になるからである。今でもそうだが。

日本では車は費用がかかりすぎる。ガソリンが高く道が狭く、高速料金も高い日本は、ドライバーにとってストレスが多すぎる。高齢者の事故が多いので、高齢者社会には、車は自分で運転するのではなく、コンピュータが運転する車に乗るようになる。

帰国後、家の駐車場で、ルーフが真っ白に変色したサニーを見て驚いた。シートをかけずに放置したためか、1年半の間に塗装が劣化した。それに冷却水のタンクの水漏れもあり、トヨタカローラの新車を買うことにした。大衆車の選択は同じで、色も白を選んだ。米国でオートクラッチ車に慣れていたので、カローラもそれにした。車は使わないだけで痛むことを教えられた。

カローラは乗った車の中で故障が全くなく、一番安定した車だという印象を持った。今ではあまり見かけないが、当時は駐車場で自分の車がわからないほど、よく見かける車だった。その数年後、VWの車に乗り換え今に至るが、VWの故障の多さはトヨタ車の足元に及ばない。それなのに、何故VWの車に乗り続けるのか? デザインがシンプルで運転する楽しみがあるからだと思う。こちらの話は次回に回そうと思う。(その2終わり)

 

TaoChat@875編集後記

先週は荘子だったので、今週は外国物にした。

ニーチェの「人間的な、あまりに人間的な」は、大学時代に買ったことが大学生協のブックカバーでわかる。芥川龍之介が、「文学的な、あまりに文学的な」を書いたのは、ニーチェのこの本を読んだためとなんとなくわかる。本が売れない時代だが、哲学者の言葉を記した本はよく読まれるので、この本が再版されないのは不思議な気がする。

「目標と道」と題されたこの言葉、自分の道と照らし合わせても、しっくりする。それが選んだ理由でしょうか。道を歩き続ける人は多くても、目標を持ち続ける難しさを教えてくれる。結局、自分に合った目標が結果的にもち続けられた理由になる。

自分に合った目標を見つけるのは難しいが、これは第一印象で決めるしかない。まるで、恋人を選ぶのとまったく同様に。理由はあとから付いて来る。

メルマガを17年間続けたと書いたが、そのきっかけは、ネットで老子同好会に加わり、老子についていろいろ語り合ううちに、もう少し幅広く語ってみたいと思ったことと、こんな素敵な思想をほかの人にも伝えたいと思ったからである。そのときのハンドルネームが、「有無相生」だった。同好会の主催者であった丸山先生(丸山瑛示さん)の当時のWEBサイトに老子の10の教えがあり、その一つが「有無相生」であり、それをいただいた。丸山先生は、その後、「いのちの道」(サンマーク出版)を出され、老子の啓蒙を続けられている。

目標は、あまり狭く設定すると活動の範囲が狭まる。広く設定して、多少の道のぶれを吸収できるとありがたい。私のメルマガは、とにかく趣味として長く続けられる目標としてありがたかった。始めた頃はメルマガの走り出しで、ネットさえつながればどこでも発行できた。当時は家ではネットがなかったので、会社のPCから発行していた。(今では、セキュリティがそれを許さないが)その後家では、ダイアルアップからADSL,そして光ファイバー、HOME WiFiとネット環境が進化している。でも、メルマガは毎週土曜に自宅デスクトップPCの前に座り込んで、原稿書きから始める。

メルマガねたは、世情についての思いや、自分の経験にもとづく人生観などを載せている。これも自分に無理がなく、文章が書ける内容を超えない。

長く続けるのにも工夫が要るわけである。ダイエットや趣味も自分ひとりでやるより、誰かと関わりあいながら続けると意外に長く続けられる。私の場合、誰かは顔の見えない誰かではあるが。

読書もメルマガねたを与えてくれる。小説には、登場人物の口を借りて、作者が語る言葉がある。面白い言葉は付箋をはる。時々俳句を載せるが、蕪村の面白さを教えてくれたのは、森本哲郎さんである。氏の「月は東に―蕪村の夢 漱石の幻 (新潮文庫) 」と
「詩人 与謝蕪村の世界 (講談社学術文庫)」は私の宝物で、蕪村の俳句と画のユーモアを味わえる本である。老子荘子芭蕉にその思想は現れるが、自然に育まれながら生きる人間へのユーモアは蕪村の句や画に見ることができる。

ということで、メルマガを書くことで普段気がつかない世界を見たいという好奇心が生まれるので、大自然の中で踏み込んで、生命の営みを感じたいと思うようになる。

ある目標をきっかけに自分の行動が広がることにもなる。生きる時間は限れられるが、生きているうちにできる行動は目標しだいでどんどん広かって行く。これがメルマガで伝えたかったことである。

TaoChat@874編集後記

昨日は、孫のバレー発表会で東京まで行きました。帰ったのは夜10時になり、寝坊したため、発行が遅れました。

孫はまだ4歳で、演技はあまり期待していなかったのですが、なかなか堂々と落ち着いて踊っていたのに驚き、つい手を振っていました。技を磨くのも大事ですが、皆とチームプレイする楽しさを体験するのはもっと大切だと感じました。

メルマガの原稿は当日の朝に書くので、何を今日の言葉にするかを決めることから始めます。最近荘子の言葉が出ていないと思ったので、福永氏の「荘子」と世界の名著「老子荘子」をぱらぱらめくって本日の言葉を選びました。

ストーリーは、本日の言葉と結びつく最近のできごとを思い浮かべながら書きはじめました。北朝鮮がグアムにミサイルを撃ち込むというニュースと広島・長崎の原爆式典で安倍首相が、核兵器禁止条約に対するコメントを述べず、行っている事が行動に結びつかないこと、核の傘に縛られた国の対応など、が最近の情勢です。

荘子の言葉は、世人が逆旅(宿屋)で、世の中の事象が流れとして、個人の中を通過するというモデルを語ります。個人の中を情報として通過するものより、実体験として通過する事象の方が、知恵としてその後の個人の人生に大きく影響する事実を明らかにします。実体験から出た言葉は、評論家の言葉より説得力があります。

政府が依然として原発依存姿勢なのは、自分の実体験として放射能の恐さを知らないせいだと思います。

広島長崎の被爆体験は、データとしては米軍が被爆状況調査と被爆者の発症状況の観察と調査を行い、その恐ろしさを把握しています。

核兵器開発する国は、核兵器の恐さをデータして把握しても、実体験で把握していません。自国民が核の熱で蒸発する様を体験していません。アウシュビッツの毒ガスで殺して、死体を焼却する域を超えています。核兵器を導いたアインシュタインでさえ、人類最大の過ちと認めています。核汚染は地球規模で広がり、一国だけが生き残る可能性はありません。

とすると、人類最大の遺産は、核爆弾を2回被爆した日本の被爆体験ということになります。高齢化が進み、被爆者が消滅するのも時間の問題です。そうしたとき、国が非核3原則を掲げながら、核兵器禁止条約に反対するという、言っていることと行っていることが矛盾する状況になっています。核の傘は、非核3原則の「持ち込ませず」を疑わせます。国内の基地に核兵器がないという保証はありません。ICBM基地がないというだけで、艦船から発射できる核や、戦闘機に積み込める空爆用核は、通常兵器とともに配備されていると考えられます。ただ、戦略上日本に核が配備されいる事が公になると、北朝鮮はそこを核攻撃するので、秘密裡にしておくだけです。

こんな状況を踏まえて、荘子の言葉のもつ意味をメルマガで考えてみました。

核兵器を使うことは、被爆体験を地球上の他の地域に拡大させることです。同じ体験を繰り返さないように、日本政府は被爆体験を語る映画を作製し、世界中で上映し、核の恐ろしさを伝えたり、被爆体験の伝承にもっと労力を注ぐべきだといえます。

安倍新内閣の目標が、依然として経済優先であるのは、ちょっと情けないと思います。

経済が発展する土台は世界平和であることを考えると、核の恐さを実体験として世界に伝え、核廃絶運動の先頭に立つ気構えが欲しいところです。人類最大の遺産を無駄にして欲しくないというのが、今回のメルマガの主旨でした。

 

車社会の行く末その1

車社会の行く末を語るまえに、自分と車との関わりを話そうと思う。

車が進化しているのは、生まれてから今まで、車との関わりを思い起こす中で見てとれる。子どものときに家に車はなかった。その当時、車は高価なもので裕福でなかった家で買うことはできなかった。初めて家で車を買ったのは、小学校6年のころ、中古の日野ルノーだった。おやじは電車通勤だったので、そもそも車は生活に必要なかった。ある日、突然車で帰って来て、首都高にドライブすると言い出した。なぜ買ったのか、よくわからなかったが、子どもに車のよさを伝えたかったのかもしれない。家に駐車場はなかったので、線路横の道路に路駐していた。当時は駐車場がなくても車が持てた時代だったのか。その車で伊豆半島先端の仲木まで海水浴に出かけたことがあった。子供心に車は便利なものという印象をもった。ドライブ中退屈なので、トランジスタラジオで音楽を聞いていた。その車にはラジオがついていなかった。クーラーもなかった。とにかく移動のための道具でしかなかった。

中学か高校のときにまた突然車は家から消えた。理由は、おやじのドライバーとしての資質だったように思う。運転免許の更新を放棄したのである。注意散漫なのか、運転することに恐怖を覚えたからと言っていた。

事故の一歩手前の経験をしたのかもしれなかった。

それが災いしたのか、わたしも大学に入っても免許を取らず、とったのは、就職後、陸の孤島に住み始めてからだった。実家に次に車が入ったのは妹が結婚して買ったBMWで、実家に帰ったときその車が突如駐車場を占拠していた。何様かと思ったが、その妹も離婚して、実家に住み続けている。BMWも亭主とともに消えている。今回の最後の教訓は、車は所有者の懐具合を表現するが、自分のライフスタイルを語る装いといえる。身の丈にあった車を選ぶべきである。(その1終わり)